GROWTSオンラインアカデミーにお集まりいただいた皆様はじめまして。
最初の記事を担当させていただくGROWTS Kids Academyスタッフの日野と申します。普段スタッフの素性を知る機会も少ないと思いますので、ここではリアルを出していきます。今回は自己紹介、GROWTS代表須田との出会い、当プロジェクトを始めた理由や将来的なビジョンなどを書いていきます。どうぞ宜しくお願い致します。
1990年神奈川県藤沢市出身、小学2年時に母校のサッカー少年団(鵠南FC)と、個人技重視のサッカースクール(エスポルチ藤沢)でサッカーを始めました。ちなみに野球もやっていました。
中学に上がる時にマリノスやベルマーレなどJ下部のセレクションを受けましたが全て落ちました。当時、中田英寿選手や戸田和幸選手が髪を染めていたのが印象的でセレクションで目立つと思い金髪にしてみましたが効果無しでした。
中学では部活には入らず、エスポルチ藤沢のジュニアユースでプレーすることに決めました。帰宅部なのに毎朝朝練をしてから登校し、授業が終わるとすぐに帰宅して練習へ向かうというサッカー漬けの毎日でした。
中学2年時には監督のツテで南米アルゼンチンへサッカー留学に行きました。トランジットで降り立った南アフリカのケープタウンの空港内でリフティングでもしてこいと言われ、見知らぬ外国人相手にテクニックを披露して小銭を稼ぐことに成功します。
アルゼンチンではボカジュニアーズやリーベルプレート、アルヘンティーノスといった名門チームの下部組織の練習参加や、本場のストリートサッカーを肌で感じました。
サッカー面で大切なことはたくさん得たのですが、留学前に仲間たちと一緒にナイフとフォークの使い方を練習したことや、身をもって食生活や文化の違いを目の当たりにしたこと、オフの日にイグアスの滝(アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ3カ国に跨がる世界最大級の滝)を見に行ったことなど、その一つ一つが貴重な経験で当時の自分に大きな影響を与えてくれました。
高校に上がる時には神奈川県内の中堅校や県外校からのオファーなどいくつか選択肢がありました。ちなみに高校進学には偏差値も関わるので、ある程度勉強ができることは重要です。私はそれを知っていたので勉強とサッカー(自分のやりたいこと)の両立をさせて自分の選択肢を広げる為、授業中だけは集中して勉強していたことを覚えています。塾へ行ったことは無いですが、テストや成績はそこそこ優秀でした。勉強は好きでも嫌いでもなく、自分がやりたいことの為のコミットメントという感覚でした。
そして進路先の選択肢の中で最もワクワクし挑戦したいと感じた三重県の名門、四日市中央工業高校(四中工)へ進学することに決めました。中学3年時の東海遠征で四中工と試合をする機会があり、ボコボコにされて全国レベルを痛感したのですが、そこで声をかけてもらったのがキッカケでした。
強豪校には全国からお山の大将が集まります。根拠の無い自信を持っていた私の鼻は折られました。テクニックしか学んでこなかった私はそこで初めて戦術というものを学びます。フィジカルトレーニングは半端なくキツいし、上下関係は厳しいし、大変なことはたくさんありましたが、それを求めて三重まで行きました。
東海プリンスリーグに出場したり、高校サッカー選手権は全国ベスト8まで進みましたが、最後の試合には出られずに高校サッカーを終えました。選手権は関東開催ということもあり家族や地元の仲間が応援に来てくれましたが、ベンチに座ってプレーする姿を見せれなかったことは本当に悔しかった。ただ、その悔しさは次に進む大学サッカーでの原動力になりました。
大学は地元神奈川に戻り、マリノスと提携を始めた当時県1部リーグの関東学院大学でプレーしました。大学1年時から試合に絡めて県リーグで優勝し、昇格トーナメントを勝ち抜き関東2部リーグへ昇格します。
しかしそこでサッカー人生初の大怪我(第五中足骨疲労骨折)をして半年以上サッカーから離れます。長いリハビリの末復帰したものの試合には出たり出なかったりという期間が続いていました。そんな時、私の人生のターニングポイントとなる国体との出会いがありました。国体とは国民体育大会の略で、各県の選抜チームで行う全国大会です。私は大学3年時に神奈川県代表選手として選抜され、ミニ国体(関東予選)を勝ち抜き、全国ベスト4(山口県大会)まで進みました。
山口県で瓦蕎麦(郷土料理)を食べるというサッカーとは全く関係の無いイメージトレーニングの効果が絶大でした。それまで部活動という枠組みの中でしかプレーをしてこなかった私が初めて社会人の選手と関わりを持つことで得たものがたくさんありました。その一つが「大人の格好良さ」です。良い歳したおじさんが本気でボールを蹴る姿に刺激を受けました。それからサッカーに、そして人生に本気で向き合うようになりました。
自分の人生を本気で考えた時に、やりたいことが見えてきました。海外(特にヨーロッパ)に興味があったので、自分の好きなサッカーで海外へ行くことができたら面白いのではないかと考えました。何となくやっていた就活をすぐさま辞め「海外サッカー挑戦」を決意します。
しかし決意はしたものの、行き方や方法など何も知りませんでした。そこからとにかく人に会っては話を聞かせてもらい、また人を紹介してもらうという私の蹴活が始まりました。そこでの出会いの一つが当時、海外支援プロジェクトを立ち上げたHBO東京という社会人チームで、その1期生として入団することを決めました。須田とはそこで出会い、海外を目指す仲間として共にプレーをしました。ちなみに当時須田とは全く仲良くありませんでした。
HBO東京での生活は火〜金曜が朝練(品川区)で日曜が試合の流れです。朝練後やオフの時間にバイトをして渡航資金を貯めました。ちなみにバイトは品川でカフェ店員をやっていました。周りの同級生が新卒1年目の社会人として仕事をする中で、側から見たらサッカーをするフリーターでした。正直迷いや不安もありましたが、それよりもワクワクの方が大きく、海外サッカー挑戦の決意は揺るぎませんでした。そんな生活を1年間続けた後、渡欧します。
それから5年間、ヨーロッパの地でプレーしました。海外編は長くなるのでまたの機会に書かせてもらいますが楽しいことや悲しいこと、魂が震えるような喜びや涙が出るほどの悔しさなど本当に様々な経験しました。
そして帰国後、日本でやりたいと感じたことが「教育」でした。日本という国の良さや悪さ、可能性、アイデンティティなど海外へ出たからこそ感じることがたくさんありました。その頃たまたま須田と再会し、お互いの夢やビジョンを語りました。私が海外でプレーしていた5年間で彼は地元目黒区で「心を育てる」という理念のもとサッカースクールを立ち上げ、人数も増えてきたタイミングでした。お互いのやりたいことや目指すところが一致したこともあり、仲間に加わることを決めました。それが私がここへ来た理由です。
現在はGROWTS Kids Academyのスタッフとして活動しながら、外部指導(パーソナルトレーニングやアメリカンスクールでの指導など)を主に担当しています。また古巣のHBO東京で現役選手としてプレーも続けています。たまにGROWTSの子ども達も応援に来てくれるので、彼らに負けじと夜な夜なスタッフ達でトレーニングするのが日課です。そんなサッカーバカが集まるこの場所が大好きです。
そんなスタッフ達と毎晩のようにスクールや子ども達、未来のことを話しながら進んできました。そんな毎日が楽しくていつもワクワクしています。
そしてある時ふと思い付きました。これを保護者や仲間を巻き込んでできたらもっと面白いのではないか。当プロジェクトを共に行うことになったサルウェブ代表の真部もそのうちの1人です。そして辿り着いたのが今回のプロジェクトであり、テーマである「共育」という一つのカタチです。
日本の教育の現場ではコーチ(先生)→選手(生徒)への一方通行のティーチングが主ですが、海外ではコーチ(先生)や選手(生徒)同士がディスカッション(ディベート)形式で問題解決をしていくシーンを多く見かけました。今回のプロジェクトではそんなイメージを持っています。
私達から皆様へ提供させていただくこともありますが、皆様から私達が学ばせていただくこともたくさんあると思います。そうやって私達も日々アップデートして、成長して進んでいくことを約束します。皆様と共に、子ども達の未来を創り上げていけたら最高に幸せです。
最後まで読んでいただきありがとうございます。感想やご意見、ご質問などございましたらコメントやメッセージしていただけると実はとても嬉しくて喜びます。それではこれからGROWTSオンラインアカデミーを宜しくお願い致します。
日野健人
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