2014年1月、オーストリアへ渡欧しました。当時、海外サッカー挑戦というのは今ほど普及しておらず、オーストリアとの繋がりもほとんどありませんでした。そんな中なぜオーストリアという国を選んだのか、それには理由がありました。
そもそも当時の自分にとっての海外サッカー挑戦とは「サッカーを使って世界を見る」ということでした。誤解を招くかもしれませんが、サッカーで上を目指す気はそこまでありませんでした。異国の地でサッカーで生活基盤を作りながら、知らない景色をたくさん見て、日本ではできないような経験をするということが自分にとってのテーマでした。
前途した通り海外サッカー挑戦においてオーストリアという国はまだ未知の領域で、挑戦者として開拓をしにいかないかという話をもらいました。自分にとっては最高の誘い話で、即答で行くことを決めました。現地でサポートをしてくれるエージェントと共にチームを探し、アポイントを取り、練習参加(トライアウト)をして、契約を勝ち取れるかどうかという勝負をしていきます。当然良いプレーだったり、インパクトを与えなければ契約には至りません。
あとはヨーロッパに行きたかったのと、本場のサッカーを肌で感じたかったという単純な理由です。そんななかオーストリアでは雪が積もり始め、まともにボールを蹴れる状況ではなくなりました。アピールをしなければいけない自分にとっては絶望的な状況ですが、その時の自分のメンタルを今でも鮮明に覚えています。「最高に面白い」と。
今自分にできることは何かを必死に考え、ピッチの上で体現しました。とにかく走って、闘って、人生をかけてプレーをしました。そして最終的に声をかけてくれたチームが、当時オーストリア8部リーグに属するUSV Wiesというチームです。下部リーグで決して高くない金額ですが給与が出て、家(アパート)と食事(近くのレストランと契約)付きという条件をもらい、合意をしてサインしました。生活をしていくには十分な条件でした。
海外サッカー挑戦と聞くと、1部(トップリーグ)や2部といった上のカテゴリーをイメージするかもしれませんが、日本でプロとしての実践がない自分のようなプレイヤーがいきなり晴れやかな舞台に立てる確率は低いというのがリアルです。そして当時、自分達のようなサッカープレイヤーは「裏海外組」と呼ばれていました。
後にモンテネグロ1部まで辿り着く自分の海外サッカー挑戦は、このオーストリアの小さな街のチームから始まりました。ここで出会った仲間とは未だに連絡を取り合うし、当時ドイツ語はおろか英語もまともに話せない自分をたくさん助けてくれた恩人です。そんな大切な仲間が世界中にいる人生は豊かです。
海外サッカー挑戦の目的や目標は人によって異なります。自分のような目的を持った選手もいれば、サッカーで上を目指す選手、言語を習得したい選手など様々です。ただ、そこには間違いなく覚悟が必要です。言語も違えば、文化や価値観も違う。そんな中で結果を出していくことは簡単じゃない。だけど覚悟があれば大概のことは乗り越えられる。そんなことを経験者として伝えていくことが、自分のミッションの一つです。